真っ白な雪虫がフワフワと大量に飛び交い、今年も冬将軍の到来を伝えて来ます。この雪の妖精は、言い換えれば一瞬のように過ぎて行く短い短い秋の終わりを告げる存在でもあります。私ことラム肉食べ太郎は、香り立つ秋風を追い掛けるかのように、心の羅針盤に従って歩みを進め、心の宝箱に色とりどりの高揚を拾い集めて過ごしています。
北海道には札幌を除いて、都会的な機能がほとんどありません。資本や人などが集約され、切磋琢磨の中に新たな価値の創造と発展が繰り返される東京には、対照的な強い魅力があります。その輝かしい世界に身を投じていた場合の自分の人生を想像しては、惜しむ気持ちになることもあります。
一方で、私は東京にいた頃、巡り回る季節の変わり目に鈍感になり、やがては歳月の流れに目を背け、給料日の回数だけが過ぎてしまった人生の距離を意識させるような、そんな世界に身を置くのが多くの大人の定めだと思っていました。
そんな感覚を持った私の、心の一部に広がる乾いた砂漠のような部分に、北海道の魅力は潤いと栄養を与えてくれました。そして、北海道の恵みを吸収して育った感性の芽達は、そこが元は砂漠であったことが分からない程に成長しました。
今の私にとって季節の変わり目は、寂寥感と期待感に溢れるものになりました。何度見ても初雪には感動しますが、雪は地上を覆い、美しい景色の下に歴史を隠し去ってしまいます。長い長い冬が来る前に、書く記事が枯渇しないように、私はそれらを写真に収めて回る必要があるのです。そして、また半年間会えなくなる景色と、また一年感じられなくなる季節に「さよなら」と「またね」を言いに行くのです。
さて、前置きが長くなりましたが、2019年9月29日に訪れた三笠市の内容です。2019年7月28日に初めて訪れた時のことを「旧北幌内変電所」「幌内炭鉱跡地」の記事としてまとめていますので、今回はその補足的な内容になります。
三笠市は1960年に63,360人となる人口のピークを迎えましたが、1970年の住友奔別炭砿閉山、1989年の北炭幌内炭鉱閉山に伴い、その後は衰退の一途を辿り、2019年10月現在の人口は8,366人となっています。
そのため、三笠市内のある町では、同時期に建てられたと思われる団地が、多数連なっているのにも関わらず、人の気配がほとんどしません。実際、三笠市には人口が0人の消滅集落となった町がいくつもあります。
そんな町中を移動していると、けたたましい音が響き渡りました。蒸気機関車の汽笛のような音に聞こえました。もしかしたら、この町の繁栄の時代が亡霊として蘇って来ていて、私がもう一歩踏み出せば、1960年代に招待され、古き良き時代を歩き回ることが出来るかも知れないと思いました。
私の妄想混じりの期待は音の出所を辿った先で裏切られました。しかし、そこには当時の片鱗が色濃く残されていました。三笠鉄道記念館です。
重厚な機械音と共に、石炭と油の匂いがします。動いている蒸気機関車を見たのはこれが初めてでした。ここでは実際に蒸気機関車の運転を体験できるそうです。
たくさんの鉄道が展示されていて、その中にも入ることが出来ました。見て触れて学べる博物館と言う感じです。機関室には50〜100年ほど昔のテクノロジーが詰まっていました。アナログ機械の数々は、どう操作していたのかを想像するのも難しく感じました。これほど歴史のある貴重な物に好きなだけ触れられる場所は、そう多くはないと思います。
三笠鉄道記念館のすぐ近くに、前回訪れた旧北幌内変電所と幌内炭鉱跡地があります。
前回紹介することが出来なかった、旧北幌内変電所建屋の内部です。窓ガラス越しに撮影しました。建屋の中では、変電所機器の保護や監視を行ったり、送電線の電気を配電線に引き込むための電圧調整などを行ったりします。
7月28日に訪れた時は、大量の飛び交う虫と、雨上がりの夏の湿気に不快感がありました。それから2カ月経った9月29日は、同じく雨上がりでしたが、すっかり秋の空気が立ち込め、飛び交う虫の代わりに落ち葉が降り積もっていました。
どんな場所にも季節は巡り、景色もまた衣替えを行うのです。
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次回の旅は「函館の魅力(1)路線から見た函館」についてです。