前回記事はこちら(水面に浮かぶ世界 5月咲きの桜と松前城)
2021年5月2日、江差町にやって来ました。
北海道には「えさし」と言う名の町が2つあります。
道南にある「江差町」と道北にある「枝幸町」です。
今回訪れたのは道南の「江差町」で、実は全国で水道料金が高い自治体ワースト2位(2019年時点)の不名誉を被っているのですが、私ラム肉食べ太郎から見た観光地としての魅力はその不名誉を覆すだけの輝きが満載でした。
まず最初に訪れたのは「えさし 海の駅 開陽丸 開陽丸青少年センター」です。
文字から伝わって来る情報量は非常に多いのですが、正直何が何だかよく分かりません。
しかし、少し視線をずらすと明らかなシンボルが目一杯に入り込んで来ます。
「開陽丸」です。
1865年11月にオランダで完成した当時の最新鋭の技術が詰まった開陽丸は、1867年6月に横浜で徳川幕府に受け渡され、その僅か1年4ヶ月後の1868年10月にこの江差の海で座礁し沈没しましたが、旧幕府から新幕府へと政権が移り変わる激動の時代の荒波に揉まれた象徴的な存在であったと言えるでしょう。
五稜郭の戦い、そして歴史的偉人である榎本武揚や土方歳三について語るならば開陽丸についても知る必要があるのです。
「えさし 海の駅 開陽丸」の中を通って「開陽丸記念館」へと向かいます。
ちなみに開陽丸記念館の中にお手洗いはないので、ここで済ませておくと良いと思います。
「開陽丸記念館」の入場料は大人500円、開館時間は9:00~17:00です。
入場チケットは「えさし 海の駅 開陽丸」と「開陽丸記念館」のどちらでも買い求める事ができます。
「えさし 海の駅 開陽丸」の中や「開陽丸記念館」の前にも、開陽丸からの海底引揚遺物が展示されており、小さいものではピストルのパーツから、大きいものではマストまでありました。
「開陽丸記念館」の中には3,000点もの海底引揚遺物が展示されているそうで、期待で胸が膨らみます。
開陽丸には当時の最新鋭の技術が詰まっていた
1860年代の最新鋭の技術が詰まった「開陽丸」のスペックはどれ程のものだったのでしょうか。
下記のパネルの情報から感覚的に分かりやすく読み替えてみます。
時速19kmで走る、最大500人乗りで、35門の大砲が据え付けられた木造の軍艦です。
「開陽丸記念館」に入って最初に目に入るのがこの大砲です。
「開陽丸記念館」の中で特に目立つのが大砲関係で、サイズも量も充実していました。
そのため演出も凝っていて、当時の戦闘の様子がマネキンで再現されていたり、大砲隊体験室と言う場所があったり、砲弾貯蔵室まで再現されていたりしました。
マネキンの彼らが裸足であるのも当時の再現通りであるとしたら、足元の安全より、高級な戦艦の床を傷つけないように室内土足厳禁を優先したのでしょうか。
マネキンの配置や表情から当時の戦闘の様子が伝わって来ます。
ここでどのような体験ができるのかは分かりませんでした。
本来、体験コーナーや触れられる展示物が色々とあったのですが、コロナ感染対策の影響で全て利用できなくなっていました。
砲兵隊の気分を味わいたかったラム肉食べ太郎としては非常に残念でした。
あまりにも大量に海底から引き揚げてしまった砲弾は行き場を失ったのでしょうか。
砲弾貯蔵室の砲弾の数が充実しているためリアルな感じがします。
当時の技術力とそれを伝えるための海底引揚遺物の保管方法
海底引揚遺物には大きいものから小さいものまで、そして鉄製、青銅製、木製から革や布類まで様々な素材のものが適切な方法で処理され、こうして展示されています。
中には非常に精密な作りである事が分かる展示物もあり、当時の技術力の高さを知ることができます。
マネキンが伝える当時の様子
マネキンが様々なストーリーを演出していました。
開陽丸の甲板へ
「開陽丸記念館」は開陽丸の実物大のレプリカですが、錆が酷い割には細かい場所まで作りこんでありました。
思った以上に内容が濃く、想定を遥かに越えて時間を費やしてしまいました。
江差に訪れた際は、是非「開陽丸記念館」に立ち寄ってみて下さい。
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