【前編】閉ざされた雪の美術館

冒険

1年のうち1/4近くが雪と氷に覆われた世界となる北海道では、厳寒期には海の水面すらもが凍り始めます。夏季にはむせ返る程の大自然が溢れる同じ土地で、この時期ばかりは生けとし生ける全てのものが活動を停止し、静寂や暴風雪が繰り返される毎日がどこまでも広がっているかのように感じてしまいます。

しかし、氷の下では生命の息吹が春を待ち構え、雪原の上にはキタキツネやエゾシカの足跡が続き、空にはオオワシが舞います。北海道の冬は厳しくも美しくあるのです。

その美しさのひとつに焦点を当ててみましょう。それは小さな雪の結晶の世界です。

雪の結晶の世界「雪の美術館」の扉が開かれる。

北海道旭川市南が丘3丁目1−1にかつて「雪の美術館」がありました

2020年にコロナ禍の影響でしばらく営業を停止していた「雪の美術館」は、2020年6月13日に営業を再開しましたが、僅か17日後の同年6月30日に閉館してしまいました。2020年になって新たに庭園が作られたり、プロジェクトマッピングが導入されるなど、積極的な設備投資が行われていたのにも関わらず、突然29年の幕を閉じてしまったのです。

コロナ禍の影響が長期化する事を見越して、結婚式場としての経営が成り立たないと判断したのでしょうか。実際のところは分かりませんが、閉館のニュースを耳にし閉館最終日の前日、2020年6月29日に私ラム肉食べ太郎も最後の訪問に行って来ました

今回はいつしかまた再開される日が来る事を願って、この時に写真に収めた美しい結晶の世界を皆さんと共有したいと思います。

いざ、雪の美術館へ

敷地への入り口は広く、日本離れした特別な雰囲気が漂って来ます。

日本離れした雰囲気が敷地の入り口からも伝わって来る。

入り口には「雪の美術館」以外にもいくつか看板が掲げられていましたが、コロナ禍以前から雪の美術館以外は既に閉館となっていたと思います。

良き時代の賑わいを匂い立たせる看板の数々。この日の翌日に最後の一枚「雪の美術館」もが閉館となった。

中世ヨーロッパを思い立たせるような雰囲気が伝わって来ますが、想像力が貧弱な私はいつもこう思います。「まるでディズニーランドみたいだな。」

外灯ですら異国感を主張する。

この建物の看板には「クリーム工房 チニタの丘」とありました。当時はソフトクリームでも売っていたのでしょうか。堅く閉ざされた入口や窓の状態から、それなりの歳月の経過を悟ります。残念ながら衰退の波はコロナ禍以前から押し寄せていたのでしょう。

「クリーム工房 チニタの丘」白雪姫の7人の小人が住んでいそうな小屋である。

Bitly

こちらの立派な建物は「国際染織美術館」です。11月〜3月休館と書かれていますが、過去3年以内に何度か訪れた時も扉は閉ざされたままでした。

駐車場から「国際染織美術館」が見えますが、以前からロープが張られていて、写真を撮った位置よりも近くには行けませんでした。

「国際染織美術館」建物は綺麗だが、重そうな扉の前のタイルはひび割れ、雑草に侵食されている。

そしてこちらの、またまた立派な建物が「優佳良織工芸館」(ゆうからおりこうげいかん)です。扉に貼られた紙によると2016年12月1日に差し押さえられてしまったようです。

炭鉱のように生産構造が衰退してしまった結果がこの通りなのかも知れません。

「優佳良織工芸館」広く立派な建物も、このままではただの廃墟となってしまうかも知れない。

ここまで読んで頂くと「いつもの廃墟ブログか。」と思われてしまうかも知れませんが、この先の記事では、風前の灯火とは言え、閉館間近の最後の感動と輝きを存分に放っていた「雪の美術館」について、根幹的魅力の熟練度をお伝えできると思います。

「ブーツの少女」に込められた意味

庭園に「像」は付きものですが、こちらの悲しい表情で奇妙なポーズをしている像に何か気になる事はありませんか?かすれた文字で非常に読み辛いのですが「ブーツの少女」と書いてあるように見えます。

しかし、どう見ても「少年」ですしブーツも見当たりません。手のひらの上に過去に何かが乗っていたのだとしても、ブーツと言うよりは盆の方が似合いそうです。

作者は佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう)と言う方で、1912年生まれの日本を代表する彫刻家との事です。凡人の私には「小便小僧」にしか見えませんが、想像もつかないような深い意味合いが込められており、このブロンズ像自体にも驚くような価値があるのかも知れません。

この「ブーツの少女」に込められた意味は、外面より内面の意味する事の方が大切であると言う、LGBTの先取りとも言えるものが込められているのかも知れません。彼は彼女であって、女性用ブーツがなくてもその心は誰にも否定されるいわれはないのです。そして盆を落としてしまった後のようなこのポーズの意味は「覆水盆に返らず」です。彼女の外見に偏見を持った友人達への態度が込められているのです。しかし、身近な人々に理解して欲しかったと言う切ない気持ちが、この表情に込められているのです。(全てラム肉食べ太郎の勝手な解釈です。)

「ブーツの少女」佐藤 忠良 作

「短歌」に込められた意味

庭の隅でまた別の芸術作品も見付けました。作者は「ブーツの少女」の作者と同じ1912年生まれの歌人で宮 柊二(みや しゅうじ)と言う方です。

大雪山の老いたるきつね毛の白くかはりてひとり径をゆくとふ

情景が目に浮かぶようです。「真っ白い冬の大雪山の麓、山頂から継ぎ目も分からぬ程に銀世界が降りて来ている。そんな中に山の方向に続く一本の足跡があり、その先には老化で雪と同じくらいに毛が真っ白に変わった老狐がいる。この狐はこの先ただ一匹どこに向かうのだろうか…」自分が歩んで来た人生とその行き先に思いを浸らせるような、そんな短歌であると、私ラム肉食べ太郎は勝手に感じました

「大雪山の老いたるきつね毛の白くかはりてひとり径をゆくとふ」 宮 柊二

庭園に咲き誇る花々たち

雪解けの土を掘り起こし、種や球根を植え、丹精を込めて育てたに違いない花々が咲き始めました。2020年に新たに作られたこの庭園の主役達です。未来への期待と希望が込められていたのかも知れません。しかし、来場者の目を楽しませる事ができたのは、わずか17日間でした。

生まれたばかりの庭園を歩いて来ました。

本来であれば、この先の季節を楽しみにせずにはいられない。そんな場所であるはずだった。

この人口の小川に水が流れ、小鳥が鳴き、子どもがはしゃぎだす。そんな季節を迎える事ができなかったのである。

小道を見掛けると、その道を使って遠回りしたくなる。そんなワクワクが沢山味わえるはずだった。

暖かい太陽の照るテラスで、美しい花々に囲まれて飲む紅茶は格別に違いない。だけどその日が来る事はなかった。

曇天の空の下でも咲き誇る花々の輝きは失われない。これから益々の魅力を増して行くはずであった。

以前訪れた際には存在していなかった庭園に感動しました。でもこれで「さよなら。」なのです。しかし「いつかまたね。」とそう思う事にしました。

おおっと、寄り道をし過ぎて「雪の美術館」の内部について書く尺が足りなくなってしまいました。そう、外だけでもこれだけの魅力が溢れ出ては主張を止めないのです。私が雪の美術館を出る頃には、大雨が降っていました。辛うじて外をじっくり見て回る事ができたと思うと運が良かったです。それとも、空もまた「雪の美術館」との別れを惜しんで涙を流していたのでしょうか。

続きはこちらです。【後編】閉ざされた雪の美術館

ラム太郎
ラム太郎

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