2020年11月12日
今年の冬最初の雪が、1〜2日前に道路にまで積もったばかりの日の事です。
冬の太陽が精一杯の空元気を出してくれているお陰で、旭川市内の道路の雪は溶け、木々や民家の屋根からは雪解け水が勢いよく滴っていました。
私ラム肉食べ太郎は、昼までに車のタイヤ交換を済ませ、その足で忘れ去られた温泉街こと天人峡(てんにんきょう)温泉へと向かいました。
今日を逃したら永遠に覚めることのない後悔と絶望の最中でもがき苦しみ続ける気がしたのです(気がしただけです)。
何故なら、北海道の冬はあまりにも厳しく、人の手が入る事のない忘れ去られた歴史的建造物の数々は、春を迎える毎に取り返しのつかないダメージをその身に負うからです。
つまり、私が今回見てきた天人峡温泉の景色は、確実に今しか見られない表情をしているという事なのです。
タイトルとこれまでの文章でお気付きでしょうが、そう天人峡温泉とは見捨てられた大規模な廃墟郡なのです。
天人峡温泉とは
天人峡温泉とは旭川市内から僅か40km程、車で1時間も掛からない大雪山国立公園内に位置する場所に切り開かれた、秘境と言うに相応しい温泉街です。
壮大な狭谷の景観、源泉掛け流しの高品質の温泉、日本の滝百選のひとつである「羽衣の滝」などに囲まれ、特別な休暇を過ごせる旭川の奥座敷でした。
しかし旭川市内からのアクセスが良いのにも関わらず、今で複数あったホテル群はただ1軒の旅館「御やどしきしま荘」を除いて全て廃業となってしまいました。
御やどしきしま荘(公式)
ちなみにコンビニ等の店や民家などもここにはありません。
この界隈で温もりが残っているのは、恐らく「御やどしきしま荘」のみです。
正真正銘の秘境なのです。
袋小路となった狭谷の奥底の秘境ですから、ついでに寄れるような場所でもなく、公共交通機関のアクセスすらありません。
だからこそ過ぎ行く年月の中で、かつての思い出は記憶となり、その記憶は世代を超えて受け継がれる事もなく、忘却の彼方へと静かに消えて行ってしまったのかも知れません。
しかし、かつての「記憶」は、このブログを通して「記録」として広まり、変わらぬ魅力を纏って令和のキッズ達をも抱き込み、そして現代に蘇るのです。
そんな影響力のあるブログになったらいいな〜と妄想しています。
近くて遠い場所、狭谷の天人峡温泉へ
旭川市街を離れ、急カーブの多い山道へと差し掛かると、見慣れた大都会「旭川」の景色は一変し、大雪山国立公園の美しい景観に飲み込まれて行くのを感じました。
この辺りまで来ると道路の雪は溶けてそのまま凍りつき、所々に切れの悪いデコボコのスケートリンクのような状態が出来上がっていました。
雪道では、急ハンドル、急アクセル、急ブレーキは禁物です!
忠別湖を越え、忠別川を遡って行きます。
左手を流れる忠別川は、水嵩が相当少ないのかゴロゴロした大きな丸い岩が一面に広がっていました。
旅路の途中に「ドライブイン まんてん 民宿」がありました。
正確には「ドライブイン まんてん 民宿」だったものです。
ひび割れたアスファルトに、固く閉ざされた戸や窓、そしてドアの背の高い枯れ草が、廃墟となってしまったのは最近の事ではないと言うことを伝えて来るようでした。
ここが忘れ去られた温泉街 天人峡温泉だ
「トンネルの向こうは、不思議の空間でした。」
某アニメ映画のキャッチフレーズに酷似していますが、私のテンションはまさにそんな感じでした。
何しろそこには、特徴的な岩肌「あまつ岩」に囲まれた狭谷の忘れ去られた温泉街が広がっていたのです。
雄大な大自然の壁と川に囲まれた峡谷の温泉街…しかし、どれだけ賛辞の言葉を送ろうにも、この下の写真のフレームに収まる全てのホテル郡は全て廃墟なのです。
「綺麗な景色してるだろ。ウソみたいだろ。廃墟なんだぜ。それで…」
双子の弟を亡くした上杉 達也のような台詞を思わず口にしてしまいます。
人が全く見当たらないことを除いて、遠くから眺める分にはきっと全盛期と変わらない景色に見えるのではないでしょうか。
しかし、平家物語の冒頭にも書かれているように「盛者必衰の理をあらはす」のでしょう。
天人峡温泉と言えば、今目の前に広がる景色しか知らない私にとって、寂しく吹き付ける冷たい風の音には「諸行無常の響きあり。」です。
「唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。」
よくよく見ると激しく傷んでしまっている建造物は、もう二度と営業が再開されることはないと言うことを悟らせて来るのです。
廃墟となった天人峡グランドホテル
真っ先に目に入ったのが「天人峡グランドホテル」でした。
2011年12月に閉館したまま、9年もの年月が過ぎようとしています。
遠くから見る分には営業中と言われても疑わない程度には綺麗に見えます。
しかし、近付いてよく見ると、激しく傷んだ廃墟であると言うことが良く分かりました。
ネットの検索を通じて、営業していた頃の写真を見ると、ノスタルジックな不思議な感覚に陥りました。
もう二度と見ることは出来ないその時代の空間に心を揺さぶられたのです。
隣にある建物は駐車場でしょうか。
入り口に置かれた自動販売機には、古いパッケージデザインの飲料が並んでいました。
恐らく2011年より遥か昔に必要とされなくなってしまったのでしょう。
再開の目処が立たない天人閣
「羽衣橋」の先に大きくて立派なホテル「天人閣」が待ち構えていました。
膨大な赤字を抱え、事業経営者が二転三転するも2018年の冬頃に休館したまま、改修の話などはあるものの、再開の目処が立っていないとの事です。
人のいない建物は傷むのが早くなるため、再開するのであれば一日でも早い方が良いのです。
活気を忘れたこの「天人閣」は、今年で3回目の冬を迎えようとしていますので、タイムリミットまでも幾許もない事でしょう。
ここまでは廃墟となってしまったホテル郡など、明るくない内容の記事を書きましたが、この天人峡に一筋の希望を確かに見付けました。
天人峡温泉の温もりを守り続ける旅館「御やどしきしま荘」、今も綺麗に手入れされている「天女の足湯」、落石による通行止めから復活した日本の滝百選のひとつである「羽衣の滝」に続く遊歩道の存在があるからです。
まだ着々と周辺の整備が進められていました。
そして、「トムラウシ登山道入り口」、「軽登山コース(1.5km)」と言う、今も昔も変わらずに社会に溶け込む冒険家達の心を浮き立たせるような看板がありました。
更には、1.5km先の落石により失われた登山道の先には「敷島の滝」があり、その尊厳なる迫力の元にひれ伏すのを渇望する我々のためにも、再び道が開かれる日が来るかも知れません。
栄光と輝きに満ちた未来への道標はこちら(続き:<輝きを取り戻す温泉街>天人峡温泉)