2020年6月3日、間も無く夏至を迎えようとしていることもあり、早朝から明るい空が広がっていました。晴れ渡る青い空には綿あめみたいな雲がふわふわと浮かぶ、そんな冒険日和に私ラム肉食べ太郎は、旧羽幌町立太陽小学校跡を訪れて来ました。
羽幌町は、天売島・焼尻島を羽幌沿海フェリーが結ぶ港町です。また、水揚量日本一の甘えびが胃袋をつかみ、日本海に沈む夕陽を眺めながら浸かる温泉が心をつかむ魅惑の町です。2つの島を含めての人口は6,740人(令和2年5月時点)です。
日本海側から僅かに内陸に入ると、豊かな大自然のベールが海風を遮ります。近くに海があることを全く感じさせない深い森が続いているのです。その先に私の目的地があります。
羽幌町の歴史には、開拓と繁栄そして衰退から現在にかけての物語があります。私の目的は、その物語の繁栄の章に足を踏み入れることです。
それでは一緒に、色褪せたページをめくって行きましょう。
時は遡ること1965年、羽幌町は道内有数の炭鉱の街として繁栄のピークを迎えました。当時の人口は全体で30,266人とのことです。特に3本ある炭鉱のうちの主力坑である築別炭鉱界隈の人口は6,182人で、鉄道・病院・商店街・百貨店・映画館などが立ち並ぶ近代的な町だったようです。
そんな繁栄を象徴するように、1966年に旧羽幌町立太陽小学校の、現存する3階建の鉄筋コンクリートのピンク色の校舎が新築されました。1962年に建てられた緑の屋根が特徴的な、非常に珍しい円形体育館が併設されています。また、1964年に本格的なプールも造られています。これだけの設備が5年の間に一気に建てられのです。当時の小学校の生徒数は約1000人だったとのことです。
栄枯盛衰は世の習いと言いますが、それはあまりにも突然のことでした。新校舎が建てられてから僅か5年後の1971年5月31日に廃校となりました。1970年に採算が合わなくなり、炭鉱の閉山を余儀なくされ、住民がいなくなってしまったためなのです。
この小学校で入学してから卒業までの6年間を過ごせた生徒は誰一人存在しないのです。
余談ですが、私のオススメの冒険グッズを時々紹介して行きたいと思っています。まずは必需品として懐中電灯です。条件はとにかく明るいこと。そして携帯しやすく丈夫で防水であれば言うことなしです。
単三電池1本で、約140ルーメンの明るさを持つこちらの懐中電灯は、上記の条件を全て満たしており、非常に使い勝手が良いためオススメです。見た目もカッコ良いです。
続きです。
旧羽幌町立小学校は、赤い橋を渡った先の小高い丘の上にあります。そして、橋を渡った右手側には公園のような、あるいは校庭と思われる場所が広がっています。この場所もまた感慨深いものがあるのです。友達と過ごし、身体を動かす、そんな子供達の成長と共にあった遊具が、静かに自然に覆い隠されて行く最中にあるのです。