江差町 開陽丸記念館と鴎島<下>

冒険

前回記事はこちら「江差町 開陽丸記念館と鴎島<中>

北海道江差町にあるクジラの尻尾のような形をした半島、カモメ島を巡る記事の続きです。

カモメ島は、実は島全体が江差町からせたな町までの日本海沿いの道や、奥尻島にまで広く点在する檜山道立自然公園の特別区域に指定されていて、美しい大自然を壊さないように、でも人々がこの感動を享受できるようにと適切に管理されているのです。

この場所を訪れた誰もが納得する、大自然の理が残す芸術を巡った今回の残りのルートは、瓶子岩→かもめの散歩道→北前船の係船跡→千畳敷→鴎島灯台→井戸、となります。

瓶子岩

瓶子(へいし)とは、神様にお神酒をお供えする時に使う口縁部が細く窄まった壺の事です。

この鳥居の先に祀られた岩は、まさに瓶子の中身が海へ注がれているような形に見えます。

祀られた瓶子岩にはこんな感じの神話がある。「神様から授かった瓶子の中の水を海に注いだ姥はびっくり、なんとニシンが群れて来るではないか。おかげで江差の民はカルシウムをしっかり摂れましたとさ」

近く(側面)から見た瓶子岩は引っくり返した徳利のように見えます。

元は島からの落石なのでしょうか。

よく見るとひび割れを修復したような跡が見えますが、まさか最初は観光名物にしようと人工的に持ってきたものでは…そんな罰当たりな考えは直ちに海に捨てました。

長年海風に晒されたであろう締縄が渋い。

かもめの散歩道

瓶子岩とかもめの散歩道

木造の橋をどこまでも歩いて行けると言うのは、それだけでも良いものなのです。

どこへ続くのか…まるで海に浮かぶ道である。

橋の上からカモメ島の方向を見ると、薄い海の縁に岩壁に沿って旧遊歩道が敷かれているのが分かります。

ラム太郎
ラム太郎

何故か今は使われていない道に魅力を感じるのです。

海の上の遊歩道はお洒落だけど、崩れ落ちそうな岩壁沿いの旧道にもそそられるものがある。

かもめの散歩道から見た江差町です。

「低い天井」に覆われたこの日の町並みは、現実の世界にいる事を疑わせて来ます。

天気ひとつで見える世界は変わる。人生もまた然り。

北前船の係船跡

カモメ島が江差町の港だった時代がありました。

カモメの散歩道を抜けた先に、遠い昔の船着き場の痕跡「北前船の係船跡」があります。

江差町に港が整備されるまでは、この場所が海側からの風をカモメ島が防いでくれる天然の港だったのです。

ただの木の杭1本に見えても、知ろうとすれば歴史とロマンが詰まっているのである。

歴史的に重要な場所である事は、大抵の場合は石碑があることで察します。

ここも例外ではありません。

いつの時代にも 青年の夢が やがて世界を 揺り動かして行く

情熱的な詩が刻まれていました。

私にも「Boys, be ambitious.」(少年よ大志を抱け)と青春熱に浮かれた時期があった気がします。

しかしラム肉食べ太郎少年の漠然とした大志は燻り続けたまま表に出る事もなく、青年期を迎えずに気付けばただの「おっさん」になっていました。

今の口癖はもちろん「昔は良かった」です。

せめて現在の若者の情熱がコロナ禍に抑圧されて行き場もなく、ただ燻り続けるだけの日々となってしまわない事を切に願います。

ラム太郎
ラム太郎

ラム肉食べ太郎は1人いれば十分なのです。

1986年に辰悦丸と言う北前船(古い帆船)がここに入港した事が示されている。

旧散歩道にある石碑。

千畳敷

どんなに高性能なカメラでも、肉眼で見る映像には敵いません。

ましてや本格的なカメラでもないiPhoneXで撮影した景色ともなれば色褪せてすら見えます。

実際のところは、艶やかなはずの記憶の中の景色は写真の容量には遥かに及ばない、圧縮されて劣化しまくった粗悪な情報の断片が残っているに過ぎないのですが。

特に近年は、幼少期に脳に刻まれた映像ほど鮮明に残る記憶を持つことはありません。

経験を積み重ねるほどに脳が情報を断捨離し、何もかもが新鮮だった頃のように脳に全てを記録しようとは働かないのです。

しかし、リアルタイムで見る美しい景色は何時でも感動を心に刻みます。

思い出に残る場所に訪れた時、思い出すのは当時の景色ではなく感情ではないでしょうか。

見た景色を写真に残すよりも大切な事は、感情の揺さぶりを受け入れる事です。

考えてみれば私は、ブログを通じて1枚1枚の写真に、その時の感情を拙い文章ながらもタグ付けする作業をしているようです。

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岩に打ち当たる波の音。白い波飛沫と刻々と流れて行く雲は時を刻んでいた。

この島の名の主「カモメ」を中央に。かくもくっきりした色合いの重なりながらも境界を見定める事はできない。

千畳敷」の写真はここからです。

長い長い歳月の中で海風と波に削られて平らになった「大自然の美術品」がこの千畳敷です。

本当に畳千枚分の広さはありそうです。

江戸時代中期の「江差屏風」にはここで宴会を催している様子が描かれているらしい。

下まで降りることも出来る。

鴎島灯台

港と言えば灯台です。

鴎島灯台」に最初に明かりが灯ったのは1889年、辰悦丸が初めて入港してから3年後です。

もちろん現在とは異なり、当時は木造の灯台だったようですが、真っ暗な遠くの海面にまで届く灯台の明かりは、当時の船員達にとって心強い目印だったに違いありません。

現在のコンクリート造りの灯台に立替えられたのは1951年の事ですが、形を変えつつも実に132年もの時を照らし続けて来た灯台だと言う事になります。

灯台の明かりは1海里(1852m)先まで届くと言う。

このような場所には大抵「鐘」があります。

幸せになる鐘

鳴らせば幸せになると言うより、鳴らそうと思える人は既に幸せなんじゃないかとも思いますが。

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江差の町に鐘の音色は届くのでしょうか。

江差追分節記念碑」は1932年に江差追分(日本を代表する民謡)が全国的に有名になった事を記念して建てられた碑との事です。

代表的な民謡の歌詞の一文が刻まれています。

「松前江差の鴎の島は地から生えた浮島か」

語呂は良いですが私には何を言ってるのか良く分かりません。

地から生えたら山で、海から生えたら浮島だと思うのです。

だから「松前江差の浮島は海から生えた鴎の地か」と私なら添削しますが、背景を理解せずにこう言う事ばかり書くのは良くないですね。

石碑の「そびえ立つ感」が良い。江差町の中ではクワ王の墓「ピラミッド」に匹敵する存在感がある。

井戸

カモメ島には今はもう使われていない立派な建造物があります。

大きさからは工場のようにも見えますが正体は何でしょうか。

ちなみに江差町には「旧中村家住宅」「旧檜山爾志郡役所庁舎」「江差姥神町横山家」と言った有形民俗文化財があります。

この恐らく名も無き廃墟とは言えど、歴史ある町の中で何か大きな役割を果たして来たのではないでしょうか。

カモメ島の廃墟。学校の体育館ほどの広さはあるように見える。

意外と最近まで使用されていたように見える。

島を半周ほどして入り口まで戻って来ました。

十分に見て周る時間がなかった事が悔やまれます。

現在も人が住んでいる民家の横に「井戸」がありました。

ただの井戸ではなく1876年にまで遡る歴史ある井戸です。

北前船の船乗りに飲水を提供するために掘られた井戸との事です。

現在も飲み水として使用されているのだろうか。

島全体を通じて港としての歴史を辿る事ができる場所でした。

美しい景色と歴史ロマンのある江差町とカモメ島は北海道内でも強くオススメしたい観光スポットのひとつです。

ラム太郎
ラム太郎

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